大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

八日市簡易裁判所 昭和46年(ろ)1号 判決

被告人 徳野真二

大元・一〇・一生 会社社長

主文

被告人は無罪。

理由

第一、公訴事実

本件公訴事実は、

被告人は、昭和四五年一一月一日日出前である午前六時四分ごろ、滋賀県八日市々布施町地先の通称布施溜池北側堤防上において猟銃を使用して鴨一羽を捕獲したものである、

というのである。

第二、当裁判所の判断

一、(証拠略)によれば、被告人が本件銃猟行為をしたときに、被告人において日の出前であることの認識があつたかどうかの点を除いたその余の本件公訴事実を認めることができる。

二、被告人は本件銃猟行為をする直前に花火があがり、その花火は日の出の合図を意味するものと誤信して本件銃猟行為をしたものであると弁解し、弁護人はこれをうけて、被告人の右誤信はいわゆる事実の錯誤に該当し、本件銃猟行為は被告人において日の出前であることの認識がなかつたことに帰するゆえ、刑法三八条一項にいう罪を犯す意なき行為というべきであるから、被告人は無罪である旨主張する。

その点についての当裁判所の判断は次のとおりである。

1  (証拠略)を総合すると、被告人は滋賀県八日市々方面で鴨撃ち猟をするため、証人藤岡梅次ら三名と共に、同証人運転の乗用車に同乗して大阪府下を出発し、昭和四五年一一月一日の早朝、かねて猟場の案内方を依頼してあった証人福島徳市方を訪れ、同人の案内で直ちに本件布施溜池に赴いたが、同人方からその溜池までの所要時間は約五分位であつたこと、被告人らが右溜池の北側堤防附近で下車した直後、東方でドーンという花火音らしき音が聞え、その後約二分位してから同溜池の対岸で銃声がして、その対岸附近から飛び立つた鴨の群れが北側堤防上空に向つて飛来してきたので、被告人がその群れに発砲したこと、証人北村喜蔵および同西本正和の両名は、当日がいわゆる狩猟解禁日の初日にあたる関係で、八日市警察署勤務の警察官として他の同僚と共に狩猟取締の警察下命を受け、両名一組みとなつて、同日午前五時四五分ごろ、本件溜池に赴いたところ、被告人の右銃猟行為を現認したので、同署出発直前に電報電話局の時報案内によつて時間規整済みの腕巻時計によつて、現在の時刻が午前六時四分であることを確認(彦根気象台の観測結果によると、滋賀県地方における当日の日の出時間は、午前六時一六分であつた。)したうえで、被告人を鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律違反の被疑者として検挙したことが認められる。

一方、(証拠略)によれば、右同日、同人が宮司として祭祀している滋賀県水源寺町大字山上所在の歳苗神社奉拝殿の竣工式が挙行されることとなり、同神社より八日市県事務所長に対し、当日の午前五時から午后四時までの間に三号玉煙火二〇発打上げの届出がなされ、同事務所長の許可を得たので、当日午前六時をやや過ぎた頃に、右三号玉四発が同神社裏の田から田口藤吉の手によつて打上げられていることが認められる。

ところで、(証拠略)によれば、新潟県猟友会柏崎支部および同猟友会長岡支部においては昭和四六年から数年前よりいわゆる狩猟解禁日の初日に限つて日の出時間をハンターに周知徹底させるために、その時刻合図として花火を打上げていることおよび被告人は新潟県知事から昭和四三年度の乙種狩猟免許を得ていることが認められる。

2  以上の各認定事実を前提として被告人が本件銃猟行為をしたときに、日の出前であることについて認識があつたかどうかの点について審究する。

先ず、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律一六条にいう「日出」の意義について考えてみると、それは日常用語的意味の「日の出」、すなわち地上からみて太陽の上縁が東の地平線に接したとき、と同一であると解する。前掲八日市警察署長の彦根気象台長に対する電話聴取書に記載されている日出時間もこのことを前提として同気象台長が昭和四五年一一月一日の日の出時間を捜査当局に回答しているものと思われる。

次に、被告人らが証人福島徳市方に到着した時間についてであるが、前掲証人福島徳市の当公判廷における供述によれば、午前六時ごろであり、前掲証人藤岡梅次の当公判廷における供述によれば、八日市インターチエンジに着いたのが午前六時ごろで、それから約一〇分位かかつて同証人方に到着ということとなり、両者においてその供述に食い違いがある。しかしながら、被告人が証人北村喜蔵らに検挙された時間から逆算すれば、その時間は午前六時直前であつたこととなるが、両証人ともその証言内容に照し、被告人が本件について証人北村喜蔵らに検挙されるまで、個々の時点について明確な時間意識を持つていなかつたように思われる。では、被告人の場合はどうであろうか。本件銃猟行為をするまで、所携の腕時計で時間を確認しなかつたという被告人の当公判廷における被告人の弁解もさりながら、被告人自身においてその確認したとか、他の同行者から正確な時間を聞き知つていたということを認めうる証拠はない。

前掲証人北村喜蔵および同西本正和の当公判廷における各供述によると、同証人らはいずれも花火の音を聞いていないとのことであるが、前記認定のとおり当日午前六時をやや過ぎた頃に歳苗神社裏の田から花火が打上げられていることおよびその花火が打上げられたのは早朝であることを考えると、その点についての右証人らの供述は信用しがたい。

当裁判所の検証調書によると、本件布施溜池の東方は低い丘陸地帯をへだててはるかかなたに仰角約五度の高さで山脈が望見されることに徴すれば、同地点において見かけのうえの日の出は、前記気象台観測の日の出時間よりもやや遅れることは見易い道理であること、また、同溜池北側堤防における日の出前一二分ごろの明るさは、一〇メートル手前の人物の目鼻は識別できるが、二五メートル離れた人物の目鼻は識別できない状態であるのに対し、日の出時間におけるその明るさは一〇メートルおよび二五メートル手前の人物の目鼻は識別可能であるが、五〇メートル離れた人物の目鼻は識別できない状態であることからみて、その明るさはある程度異なるといわなければならないが、経験則によれば、見かけのうえの日の出前の、いわゆる薄明期においてはある時点とある時点との明るさは比較可能であつたとしても、その明るさの度合はその日の出の時間に近かずくにしたがい除々に増加するものである。ところで、前掲証人福島徳市、同藤岡梅次、同西本正和の当公判廷における供述によると、当日の早朝は快晴であつたこと、被告人の当公判廷における供述によれば、被告人らが布施溜池の北側堤防附近に到着直後に、花火の打上げ音が聞えてから、被告人が発砲するまでの時間は僅かな時間であつたこと、被告人は、当時、新潟県柏崎方面などでいわゆる狩猟解禁日の初日に花火の打上げなどによつて、日の出の時間の合図がなされていることを知つていたこと(このことは、新潟県知事作成の証明書によつて、被告人が昭和四三年度の乙種狩猟免許を得ていることからも推認できる。)が認められる。そして、被告人が昭和四四年以前に狩猟解禁日の初日に滋賀県方面に銃猟に来たと認められる証拠はなく、また、その作成日付が昭和四五年一一月一日の被告人の司法警察員に対する供述調書中、その七項に「私達四人は案内人の家を出る時に時間きせいの為の花火だというのが六時前ごろに上げられたので………」と、同八項に「案内人の家を出る時にはすでに時間きせいの花火の音を聞いて急いで出かけた………」と各記載されていることおよび前掲図師龍男の司法巡査に対する供述調書の作成日付が同月七日付であることからみて、被告人は当初から一貫して当公判廷における弁解と同じ趣旨の弁解をしていることおよびその弁解によつて右図師龍男が参考人として取調べられたことが窺われる。

以上の各事実を併わせ考えると、被告人は、花火の打上げ音を日の出の合図と誤信して本件銃猟行為をしたとみるのが相当であつて、右誤信は鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律一六条、二一条一項一号にいう「日出前ニ銃猟した」罪を構成する事実の認識を欠いたものというべきであるから、その故意を阻却するものといわなければならない。

なお、前掲被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は当日の滋賀県地方における日の出時間をあらかじめ人から聞いて知つていたというのであるから、本件銃猟行為をするときに、自己の腕巻時計などで時間を確認すべきであつたというべきで、その過失の程度は被告人の猟歴および猟友会における地位などを考えると、相当重いものといわなければならない。しかしながら、当裁判所は鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律一六条、二一条一項一号違反の罪は、同法に刑法三八条一項但し書にいう「特別の規定」がないうえに、同法二一条一項二号の「銃猟禁止区域において銃猟した」罪の場合と異なり、同条項には過失犯をも処罰する趣旨を含まないと考えるものである。

第三、結論

そうすると、本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例